「ただ水やり」校長 古賀誠子
校長 古賀 誠子
アフガニスタンでは、アメリカ同時多発テロ事件のあと20年に及びアメリカ軍が駐留してきましたが、8月31日に軍撤退の完了期限を迎えました。カブールでは26日、国外に退避しようとする人で混雑する空港付近で自爆テロがあり、地元メディアによると、100人以上が死亡、アメリカ軍は29日、新たな自爆テロを阻止するためだと理由付け、爆発物を積んだとみられる車両を狙って無人機で、報復と思われる攻撃をしました。
この攻撃について地元メディアは、複数の子どもを含む民間人が巻き込まれて死亡したと伝えています。外国政府などに協力したアフガニスタン人のなかには国外への退避を希望しながら各国の軍用機に乗れず、取り残されている人が多くいます。再び権力を掌握したタリバンは新たな政権を発足させようとしていますが、市民の間では、治安や経済の先行き、女性の権利が守られるかどうか、将来を不安視する声も広がっています。
今日は、アフガニスタンに生涯をささげ、同じ福岡県出身の医師、2019年12月にアフガニスタンで武装勢力に銃撃され、亡くなられた中村哲氏の活動について、ご一緒に考えていきましょう。中村氏がアフガニスタンでの活動を始めたときの医療チームJAMS(Japan-Afghan Medical Service)の活動について、『ダラエヌールへの道』(中村哲著)に、次のように書いてあります。
「『丸腰の安全保障』がありうるか、興味ある問題だが、結論から言うと、現地では非武装がもっとも安価で強力な武器だということである。金曜日の休みの気慰みにライフルやピストルで射撃大会をすること以外は、我々は診療所内での武器の携行を一切禁止した。・・・これは、時には発砲する以上の勇気を必要とする。だが事実は、人々の信頼を背景にすれば案外可能なのである。確かに武器で自分が守られたという体験はほとんどない。無用な過剰防衛はさらに敵の過剰防衛を生み、果てしなく敵意・対立がエスカレートしていく様は、ここでもあらわに観察される。」(『ダラエヌールへの道』より)
「『よそ者』の我々は地元民から笑顔を引き出すことに成功した。私心のない医療活動は、地元民の警戒心を解き、彼らが我々を防衛してくれるようになった。渓谷のあらゆる住民が我々を必要として、その方針に協力するようになったのである。JAMSのスタッフたちも、偏見と警戒を脱して、与えることの喜びを知り、大いに意気が上がった。」(『ダラエヌールへの道』より)
そして、次は中村哲氏の書いた詩です。
自然相手はただ根気 何があってもただ水やり
褒められてもくさされても ただ水やり
誰が去っても倒れても ただ水やり
嬉しくても疲れていても ただ水やり
風が吹いても日照りでも ただ水やり
邪魔されても協力されても ただ水やり
誰がなんと言おうと ただ水やり
魔法の薬はありません。
――中村哲
たとえ何が起ころうとも「ただ水やり」。「構わず続けろ」、それが中村哲氏が率いるチームの合言葉だったそうです。乾いた大地、泥でできた家々、たびたび起こる天災、これらがアフガニスタンのすべてであり、中村氏は、アメリカによる対テロ攻撃の最中でも、アフガニスタンで水やりを続けました。アフガニスタンの人々が、今、真に必要としているものは何でしょうか。「人々の関心は、『いかに耕し、いかに生き延びるか』という、平和な農村共同体の回復にあることは肝に銘ずべきである」(中村哲 03年7月9日会報より)。
中村氏がたどり着いた答えは、“水”でした。アフガニスタンを大干ばつが襲い、農地が砂漠化するのを目の当たりにし、活動は、医療から灌漑(かんがい)、農業支援へと広がっていきました。「100の診療所より、1本の用水路を」、病気の背景には食料不足と栄養失調があると考え、アフガン東部で用水路の建設に取り掛かりました。これまで約27キロが開通し、用水路は福岡市の面積のほぼ半分に当たる1万6500ヘクタールを潤し、砂漠に緑地を回復させ、その水は今、60万人以上の人々の暮らしを支えています。
真の「平和」とは、勝利や報復のために、心や命を奪い合っていても実現しません。見返りを望まず、自分を人に『与える』ことで実現します。この視点に、私たちは固く立っていたいと考えます。
「神よ わたしを平和の道具としてお使いください。憎しみのあるところに愛を、争いのある所にゆるしを、分裂のある所に一致を、絶望のある所に希望をもたらす者としてください。」(『平和を求める祈りーアシジのフランシスコの祈り』より) 父と子と聖霊の御名によって アーメン