10月のみことばと意向 宗教科 阿部光喜
宗教科 阿部 光喜
宗教と宗教心とは違います。宗教心は人間、だれにも生まれながら備わっているもので、人種に関係なく皆が心の奥深く持っています。それはひとに対する愛、思いやり優しさであり、私たちの心の中に神様がお住まいになっているあかしです。宗教心は人間のもっとも美しい部分です。この部分を育てるのには時間がかかります。目先のものに目を奪われていると、大切なものが失われてしまいます。 (「そよ風のように生きる」)より 旅行くあなたへ
10月のみことばと意向
「共に生きる」
「平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか」
(ローマの信徒への手紙14ー19)
・10月はロザリオの月、海の星 聖母マリア様を通して、「自己を尊い存在」として祈り努力するわたしでありますように
・アッシジのフランシスコのように「キリストの生き方を知り、祈りを通して神に心を向けることができますように 「18歳のわたくし」より
・人と共に人のために生きようとすることが、自己を成長させ、世界の平和につながることをしっています。 「18歳のわたくし」より
10月のテーマ
「共に生きる」について考えてみましょう。
人生を豊かに歩んで行くために、毎週「宗教の授業」があります。宗教の授業は生きることそのものを扱い、わたしたちが「ただ生きる」だけではなく、「よく生きる」ことを模索するときに、人間についてのさまざまな考え方を学ぶことを通して、自分自身が人間としてどのような生き方をするのか、自分にとって「よく生きる」とはどのようなことなのか、他の教科で培った知識を基盤として、自分とは異なる視点から人間の行動について学んでいます。
異なる視点からとは、人間の自分の都合のよい価値観ではなく、イエス・キリストの「よく生きる」という価値観を通して今の「自分」の姿を見つめ、よりよく生きるためには私はどんな日々を送るのか。また、他者を受け入れられない時、自分を一度 第三者としてみつめ神が願った視点に立ち返り、わたしの毎日の生活はどんな価値観を大切にし選択、行動していったらよいのかみつめてみると、改めて神様の望まれた価値観にき気がつくことでしょう。自分の都合のよい価値観ではなく、人間の尊厳を中心に置いた人間が互いに助け合う、共存のピジョンに目覚め、神様に創られたかけがえのない存在としての「自分」の価値に光を見出し日々を大切に過ごせることでしょう。
ある日曜日、神父様の説教でわたしたちは皆、自分の人生に意味と目的を必要としています。その生涯の間に、何か意義のあることをなしとげたいと願っているとも。
誰かの役に立つことを求めていること、苦労は多くても、意味あることの為に働くことができたら人は満ち足りた心で生きることができるでしょうとお話しされた。
どうでしょうか。どんな小さなことでもよいのです。もし、そんな体験の機会をいただいたら、積極的にチャレンジしてみて下さい。きっと、なし終えた後には心が満たされ神様の息吹を感じることができるでしょう。
何度も皆さんにお話していますが、一人ひとりの皆さんは、神様から愛されているかけがえのない存在であり、だからこそ、一個の人格として尊重されなければなりません。一人ひとりが神様からの愛を自覚し、お互いに尊重されなければなりません。
生徒手帳
・キリストの生き方を知り、神にこころをむける
・キリストが人を愛したように、社会や人のために自分をつかうことができる
・キリストの価値観で判断、行動する
まさにそれは「共に生きる」こうした心を自分のなかから掘り起こし、自分なりに育てていくことが、人に対する無関心というウイルスを克服していくための道といえるのではないかと思っています。そして、それは海星女子学院高等学校の目指す姿でもあります。
十愛も信頼も目に見えない みえるものを通して
見えないものに触れながら 支えられていくのが人間で
その感性を磨かない人に 共感する心は育たない。