第3学期 始業式 校長 古賀誠子
校長 古賀誠子
新年あけましておめでとうございます。年末、年始、皆さんはどのようにしてすごしましたか。新しい一年の始まりです。2022年、どんな目標をたてて新年をむかえたのでしょうか。元日に、家族揃って、新年の抱負を一人一人述べる家庭も多いのではないでしょうか。
さて、ただいまお読みした聖書の箇所は、ルカによる福音書6章の46節から49節、「家と土台」という話です。みなさんは、家が建つところをみたことがありますか。家をたてるとき、地面を深く掘り下げ、地盤を強化し、「基礎」と呼ばれるものをつくります。地震や、洪水などが起こった時に、簡単に壊れたり、流されたりしないためです。家を建てる時、この「基礎」を造るのにもっとも気を遣い、時間がかかると言われています。意外と思っているより、上物を立てるほうが簡単にできるのですね。したがって、家が倒れる、倒れないかの違いは、恰好よく見える家の外観や、家自体の素材による強さにかかっているのではありません。土地を深く掘り、岩の上に土台を据えているかどうかにかかっているのです。つまり、現実的に言い換えると、私たちが、お金や、地位、名誉などを土台にして生きる、あるいは追い求めて生きるとします、しかし、それらを土台とした家(人)は、嵐が来ると吹き飛ばされ、ひどく壊れてしまうということなのです。しかし、それだからといって、土地を深く掘り下げ、岩の上に家を建てたものには、災害がおそってこないわけではありません。人にはみな同じだけの試練や困難がやってくることでしょう。しかし、たとえ洪水や地震に、すなわち人生の試練や困難に襲われることがたびたびあったとしても、聖書のみ言葉に耳を傾け、祈り、人に祈ってもらうことで、最後までしっかりとたっている家(人)であることができる、そこに大きな違いがでてくるということをこの聖書の箇所は語っています。
さて、もうひとつ、大事なメッセージがここにはあります。「主よ、主よと呼びながら、なぜ私の言うことを行わないのか。」さらに、もう一箇所、「聞いて行わないものは、土台無しに地面に家を建てた人に似ている」聞いて、「行う」ということを強調しています。昨年の、シスター入江のご講話の中に、「聞いたものには責任がある」と言われました。みなさんは、「聞いたもの」です。では、聖書の箇所にある通り、「行っていますか?」
今年度の街頭募金は、生徒会が中心になって、みんなが一丸となって取り組んだ街頭募金でした。コロナで体育会も、海星祭も縮小され、なんとかして海星伝統の行事を行いたい、その生徒会の熱意が、街頭募金を実現させました。音声を吹き込み、ポスターを作成し、本当に極寒の中をよく頑張ったと高く評価しています。皆さんが書いてくれた感想をご担当の先生からいただきました。
そのなかに、こう書いてありました。「自分の場所に行くまでの間、すごく寒くて、正直35分間もやるのはきついかなと思っていたけれど、いざ立って活動を始めると、思っていたよりも多くの人がわざわざ足をとめて、募金をして、最後に「頑張ってね」と声をかけてくださった。なぜかこの言葉が私の心を温かくした」「一番印象にのこったことは、一度通りすぎたけど、戻ってきて募金してくださった人がいたことです・・・私の募金活動の時間が終わってから、たまたま知り合いに会いました。私の話を聴いて、すぐに募金に行ってくれました、友達のあたたかい気持ちが、とても嬉しかったです。」ほかにも、「コロナでみんな生活は大変なはずなのに、募金してくださって、人の優しさにふれることができました」など、多くの人がすばらしい気づきを得ることができました。まさに、『聖フランシスコの祈り』の通り、「わたしたちは、自分を与えるによって、真に受ける」のです。
わたしたちは、講堂朝礼や、ミサ、宗教行事で、聖書の言葉をたくさん聞き、海星には「教室の外での学び」がたくさんあります。そして、学んだこと、聞いたことを行動にうつすことができるかどうかは、あなた次第なのです。あなたがどれだけ深く考察し、地面を掘って学んだかよります。たとえば、試験の前に、一生懸命勉強する、とにかく書いて覚えて、声に出して・・・この作業を何度も繰り返した経験があるでしょう。これは、知識や技能を身に着けていくためには大事な作業です。実際に試験の点数も結構とれますね、でもこれは「深い学び」なのだろうか、と最近よく考えます。時間が経過したら忘れてしまうものもたくさんあるのではないでしょうか。またその理由は何でしょうか。たとえば、「なぜ、私たちは、街頭募金を行うのか。」考えたことがありますか。「なぜ、ボランティア活動をすると、自分の心が満たされるのか」考えたことがありますか。「なぜ、与えることによって、真に受けるのでしょうか」、時間をかけて考え、探究し、答えを見つけてほしいと思います。そして、この考察や探究を通して、自分から課題を発見し、解決に向かって行動できる人へと、あなた自身が変わっていくことを期待します。 「街頭募金」と言う今回の学びが、生涯あなたがたの中で生き続け、あらたな活動へと繋がっていきますように。
福岡海星女子学院の生徒は、「キリストの価値観で判断し、行動することができます。」「存在の土台に神の愛があることを知り、生きていくことができます。」(『18歳のわたくし』より)
さて、第3学期、1年生は2年生へ、2年生は3年生へと一つ進級する準備をする大切な時期です。毎日なんとなく時間をすごしていても、残念ながら人としての成長はありません。 次の学年に向けて、あるいは進学に向けて、 今学期は何を成し遂げるのか、一日単位の具体的な目標を決めて、きっちりと3学期をすごしましょう。
3年生、受験生たち、冬休みの課外で、最終チェックはできましたか。苦手な個所をあぶりだし、最後のつめをしっかりおこなってください。まだできることはたくさんあります。よい準備がよい結果を生みます。推薦入試で進路が決定した人たちへ、私たちは、昨年の10月からたすきをつなぎながら、入試に挑んできました。それが、いよいよアンカーに手渡されます。福岡海星女子学院の最終ランナーたちです。受験は団体戦です、最後のランナーがゴールテープをきるまで、協力し、祈り、応援してください。「あと少し、もう少し」、ゴールはすぐそこに見えています。このラストランが一番きついですね。しかし、シスター入江がおっしゃった大谷翔平のお話を思い出しましょう。
『大谷翔平の監督であるジョー・マッドン氏が登板を願うと、「明日はだめです」と言ってきたことが一度もなかった。「準備万端です。いけます」と翌日は元気いっぱいの姿でグラウンドに現れた。鈴木イチローは大谷翔平に、「できるだけ無理をしてやっていてほしい」、「なぜなら無理ができる時間は長くないから。大谷翔平にしかつくれない時間を積み重ねて欲しい」という言葉を送っています。』(シスター入江ご講話より)
さあ、いまこそ「無理をするとき」です。これが、あなたが今「行う」ことです。受験では、「あのときこうやっておけばよかった」という思いを決して残さないこと、最後まであきらめないこと、自分がこれまでやってきたことに自信を持ち、信念をもって走り抜けましょう。私たち教員は、あなたの隣で伴走しています。健闘を心から祈ります。
そして、最後にもう一つ、いつもお話ししている「そよ風のように生きる」~旅行くあなたへ~に、こんな箇所をみつけました。
「主に願うことがすべてかなうならば、私たちが神を支配することになります。願ったことと違う結果が出たとしても、失望、落胆などしないことです。時がたてば、それがあなたにとって一番よいことだったということがわかります。よく配偶者について不足を言う人がいますが、年をとれば、自分にとって一番よい選択だったということが分かるようなものです。それゆえ、神様の解決法と、わたしたちのケチな考えとに違いのあることを知らなくてはなりません。ですから、願う時には心にゆとりが必要です。自分の努力も十分に尽くさねばならないことは言うまでもありません。」『そよ風のようにいきるー旅行くあなたへ』より
皆さんにとって、そしてご家族にとって、新しい年が恵みと希望に満ちた日々となりますようにとお祈りしています。