6月のみことば 宗教科 納富幸夫
テーマ「与える喜び」
「惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。」
(「コリントの信徒への手紙Ⅱ」 第9章6節)
○「進んで自分を活かす」ことができますように。 「18歳のわたくし」より
○「まわりに支えられていることを自覚し、他を大切にしつつ自分を素直に表現する」ことができますように。 「18歳のわたくし」より
○ ウクライナ侵攻により、爆弾の恐怖に怯え、国を追われた人々のために祈ります。いのちの危機にある方の恐怖に寄り添い、この分裂を乗り越えていけますように。
当時、コリントの人たちの悪徳は有名でした。そこで、パウロは手紙の中で、あらゆる種類の「悪の見本」を述べた後に、『あなた方の中には、以前はこんな人もいた』(「コリントⅠ」第6章9~11節)と、勝利の言葉に導いて終えています。今回、エルサレムの人たちへの献金にあたって、『彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施して、彼の慈しみは永遠に続く』との聖書の言葉を引用して、コリントの人々に援助と協力を依頼しています。
ユダヤには、宗教行事を支える三大支柱がありました。「施し」と「祈り」と「断食」です。しかし、イエスは、しばしば間違った動機と行為には警告を与えておられます。それは、自分の寛大さを人々に示し、人々の感謝を集め、快感を味わおうとする人たちへの警告でした。
差し出す動機には、① 義務感から差し出す ② 名誉欲で差し出す ③ 与えないでは いられないから差し出すなどの場合がありますが、③の人たちに共通しているのは、常に愛と親切に満ち溢れ、与えないでは いられない人たちです。そして、自分の持っている豊かさは、すべてが神の恵みによって与えられてきているものだと理解している人たちなのです。この人たちが喜んで差し出す施しや奉仕こそが、心からあふれ出る愛の業であり、神の愛のほとばしりであると、イエスは言われているのです。
パウロはこの完全な施し、奉仕の模範をキリストの中に見出しています。そこで、コリントの友人への手紙の中で、次のように言っています。
『あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたの為に、貧しくなられた。それは、あなたがたが彼の貧しさによって、富む者になるためです。』 (「コリントⅡ」第8章 9節)
私たちが与える献金や奉仕は、決して、義務感から生まれる頑なな自己義認であってはならないのです。そこには、与える喜びも、受ける喜びもないからです。私たちが、キリストがご自分を与えられたように、与え続けることによって、神は、より多くの慈しみの実を、私たちの心の中に成長させてくださるのです。
教会の6月は、【御心(みこころ)の月】です。キリストの燃えるような愛の炎に倣って、行動する月です。私たちも、愛の心(相手を大切に思う心)が自然と溢れる行為の中にこそ、神の祝福と恵みが豊かに注がれていることを信じ、「進んで自分を活かす生活(自分の才能・個性・能力を、日常生活の中で喜んで他に与え、生かして)行動をしましょう」。私たちを見ることによって、周りの人たちには、神に対する感謝の念を起こさせ、神に栄光を帰することになるのです。
【豊かな刈り入れ】が約束されていることを確信し、「より多く、より豊かな私を与えることが出来ますように」と祈りながら、勤勉な学習、家族や友人、そして、自分の身近な人たちへの、愛に溢れた行いに努めていきましょう。