「隣人を大切にしましょう」宗教科 納富幸夫
テーマ「隣人を大切にしましょう」
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(「ヨハネによる福音書」第13章
○「キリストが人を愛したように、社会や人のために自分を使うことができます」ように。(18歳のわたくしより)
○「ボランティア活動などの体験を通して、自分が豊かになっていることを」感じることができますように。
(18歳のわたくしより)
○九州北部豪雨で被害を受けた全ての人のために祈りましょう。被害に遭われた方々のことを忘れずに、
自分なりの支援が出来ますように。そして、「助け合いの輪」が広がりますように。
このみ言葉は、イエスがこれから誰もついてくることの出来ない旅(十字架への道)へと、たった一人で進んでいかれるその出発に際し、弟子たちに残された最後の訓戒(くんかい)の言葉でした。イエスはこれまでも「愛」について多くのことを話され、心の純真な人たちに福音の本質を残されています。ヨハネの福音には10か所、マタイの福音には7か所、マルコの福音には2か所、ルカの福音にも3か所あって、内容も「人々への愛」「罪人の愛」「愛の選択」「愛の浪費」「父の愛」「子の愛」「愛の戸惑い」「愛と裁き」「信じる者の愛」「怒りと愛」「惜しみなくそそぐ愛」など様々でした。今回の「み言葉」は、ご自分がどのように弟子たちを愛してこられたかを弟子たちに思い出させ、イエスなき後に弟子たちが歩む道についての一つの戒(いまし)めとして与えられたものでした。
では、イエスはこれまで、どのように弟子たちを愛してこられたのでしょうか。「使徒行録」や様々な『書簡』
から、次のようなことが見えてきています。
1.イエスは【私心】なく弟子を愛されていたこと。
いかに優れているように見える「愛」であっても、私たちの「愛」には必ず「自我の要素」が含まれています。無意識に、愛から得られるものを考えてしまいます。愛の行為が求めるものは、最終的には「私の幸せ」であっても、愛が拒まれた時に感じる『空虚さ』です。しかし、イエスは、いつもご自分のことは顧みられず、ただただ、ご自分を与えることに徹されています。イエスの願いは、弟子たちに何かをすること、ご自分だけにしかできないことをすることでした。
2.イエスはいつも【犠牲】をはらって弟子を愛されていたこと。
また、イエスの愛が与えるものや愛が及ぶところには【制限】がなかったこと。イエスは弟子たちのどんな要求であっても満たされました。十字架に向かうことすら辞退されなかったのです。イエスは、弟子たちに『愛』は常に痛みをもたらすものであり、十字架をもたらすものであることを示しておられたのです。
3.イエスは絶えず【理解】をもって弟子を愛されていたこと。
イエスは、徹頭徹尾弟子たちを知りぬいておられ、洗いざらい、彼らの欠点を知りぬきながら愛されていました。イエスの愛は、弟子たちの一部ではなく、その全体を愛されるほど深く、広かったのです。
4.イエスは【赦し】でもって弟子を愛されていたこと。
イエスの危急の時、弟子たちのリーダーがイエスを拒もうとし、他の弟子たちもイエスを残して逃げ去っても、イエスは何も咎められませんでした。どんな失敗も赦されました。『赦すことのない愛は、縮んでしまう』『いつまでも存続する愛は、赦しの上に建てられなければならない』と、イエスはいつも言われています。そして、『私は、このようにあなたたちを愛しました。この愛を互いに行いなさい』と。