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講堂朝礼〜生徒へのメッセージ〜

Messages for Students

宗教朝礼 シスター入江純子

               テーマ「幸い」

「平和を実現する人は、幸いである、その人たちは神の子とよばれる」

マタイによる福音 5章9節

あの暑さはどこに行ったのかなと思うほど急に寒くなりました。体調に気を付けないといけないですね。

10月7日にはインドネシアの高校とズームでミサを共に祝いました。お互いによく準備された1時間余りの時を過ごしました。世界には同じ本会の創立者の精神で学ぶ学校がたくさんあります。

インターネットの機器の発達のおかげで距離感がなく、親近感を感じます。これを機会に視野を世界に向けて、教皇様が言っておられるあなたたちではなく、私たちのこととしてお互いを広い心で受け入れる人になりたいですね。

この場を借りて、シスターの私的なことですが、インドネシア管区にお礼を伝えることができたことがとてもうれしかったです。

インドネシア管区から日本管区に派遣されて介護の仕事をして下さっていたシスターレッティのことでお礼を申し上げるチャンスをいただいたことです。とてもやさしいシスターでしたが日本語という大きな壁が彼女を苦しめました。数年後に帰国されましたが、私の気にかかっていたシスターです。一言お礼ができて感謝です。インドネシアのシスターリンダが「この次の機会にシスターレッティを呼びましょう」とおっしゃってくださいました。「どうしておられるかなぁ」と思っているとこのような時が巡ってくるのですね。時を流さないで捕まえていく愛の手を持ったあなた達であってください。

今日の聖書の個所は「山上の説教」(イエス様が山に登られ、腰を下ろして弟子に話されました。)

幸い

 心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰めを受ける。

 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。

心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

わたしのためにののしられ、迫害され,身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、

あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。

幸いは今ここに在り、今この状態に入っているということです。それはキリストと共に歩む者だけの喜びでしょう。

心の貧しい人々とは

 この世から完全に見放されている人で、神にしか頼れない貧しい無力な人たちです。自分の無力さを知って、ただひたすら神により頼む人の幸いであり、神の中に必要な助けを見出した人のことです。

悲しむ人々の幸いとは

 自分の無価値を絶望するほどに悲しんだ人は他人の悲しみ、苦しみに対して深い思いやりを持つ人になります。人を知り、神を知る人の幸いです。

平和(シャローム)を実現する人々の幸いとは

 平和をつくり出す人は神の子と呼ばれる。神の息子と呼ばれることです。人と人との間に平和をもたらす人とは、真剣に人の立場に自分を置いて、相手と同じ気持ちで持って見たり感じたりして相手の心に入っていこうとする人のことです。

人間が本当の意味で人間になるとは、自分は被造物で神が創造主であって神なしには何もできない自分を知る時です。

シスターのひとこと

この自分の考え方の転換は難しいですね。

愛によって造られた私たちに投げかけられたキリストの言葉です。人として私が生きるとは何か。

秋の夜長に考えるといいですね。

感謝しようすべて

私のうちに愛を注ぎ この友のために 神が生きる

いつも喜んで 共に生きる 深い愛の中 友の中で

神にいつも祈り 友のために祈る なんでも感謝 いつでも感謝 喜びの時も悲しい時も

私のためにあるこの人 この友のために 私がいる

いつも喜んで 共に生きる 深い愛の中 友の中で

神にいつも祈り 友のために祈る だれにも感謝 どこでも感謝 手を取り合って 励まし合おう

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