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講堂朝礼〜生徒へのメッセージ〜

Messages for Students

2月のみことば 宗教科 納富幸夫

テーマ「受け継ぐ」

「柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐからである。」
(「マタイによる福音書」第5章5節)

〇 伝統を受け継ぐ式や静修会を通して、「福岡海星の一員として、進んで自分を活かすことができる喜びを感じる」ことができますように。
 「18歳のわたくし」より

○ 今までの学校生活を通して、「経験したことを振り返り、自分自身を知り受け入れる」ことができますように。
 「18歳のわたくし」より

柔和』とは、大抵、性質が優しくておとなしいと理解されていますが、人から言われたことにただおとなしく従うだけとなると、気力のない人間になります。英語の『柔和』(ミーク)も、あまり良い意味では使われてなく、「おとなしい・従順」が「意気地がない・筋が通っていない人・気力がない人」などとよく使われているようです。

でも、この言葉は、ギリシャ語の『プラウス』であって、当時、倫理を示す重要な言葉なのでした。そして、そこには「耐え忍ぶ」という意味もあって「怒るべき時に怒り、怒るべきでない時に怒らない」という意味で使われていました。

アリストテレスは、この「柔和」(プラオテース)の性質について「すべての徳は、両極端の中庸にある。一方は過剰で他方は欠乏であり、その中間に中庸がある。例えば、浪費者と守銭奴の中間に寛容人がいるのである」と言い、この(プラオテース)を定義して【過剰な怒りと、行きすぎたおとなしさの中間】としています。ですから、『柔和』は怒りが多すぎることと、少なすぎることとのちょうど中間であるということになります。そこで、

*『怒るべき時に怒り、怒るべきでない時に怒らない人は幸いです』という訳になります。

では、それは一体、どんな時なのかというと、『自分に加えられた侮辱や損害に対しては怒ってはならない。恨んではいけない。しかし、他の人が傷つけられた時には、全力で怒らなければならない。』即ち、自分中心の怒りは罪だが、自我を滅した怒りは偉大で、祝福されるべきものなのだからというのです。 

ギリシャ語の『プラウス』には、あと二つの意味があります。一つは、〔他の者の支配を受け入れることを学んだ動物〕です。ですから、二つ目の訳は、

*『すべての本能や衝動、激情を抑制する人は幸い』・『完全に自制出来る人は幸い』です。

三つ目の『プラウス』の意味は、〔学ぶ必要があること、許される必要があることを自覚する、謙虚さ〕を意味しています。謙虚でなくては何も学ぶことは出来ません。学問の第一歩は自分の無知を知ることだと言われています。謙虚でなくては真の宗教もありません。自分は弱く、神が必要であることを自覚した時に、はじめて真の宗教心が生まれるからです。人が、本当の意味で人となるのも、自分が被造物であり、神なしには何もできないことを知った時です。そこで三つ目の訳は

*『自分の無知と弱さと欠乏を知っている謙虚な人は幸いです』ということになります。

この柔和な人こそが、地において【神の国】を受け継ぐ」と言われています。

神の国】とは「主の祈り」にもある通り、神の『み心』が地上で行われる社会であり、私の意志、私の心、私の生活を神の意志に沿って生きようとする社会のことです。

自制心の強い人、激情、本能、衝動を抑えることが出来る人、自分の生活すべてを【み旨】に沿わして生きる者、神に支配されて生きる者こそが幸いであり、地において、『神の国』を受け継ぐ者となると言われているのです。』   

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