「世の光」シスター入江純子
「わたしは世の光である。」
(ヨハネによる福音書 第8章12節)
真夏日が続きます。熱中症にかからないように、自分の体は自分で責任を持つこと。同じく行動、 言葉にも責任を持つことが大切ですね。とっさの行動、とっさ言葉でその人の中身が一気に現れます。
6月25日、神戸海星名古屋支部の同窓会に出かけました。30名ほどの小さな集まりでした。小、中、高、大学と一緒に勉強した人たちの集まりですから、思い出、楽しみ、苦しみ、痛みを共有している 仲間です。ありのままの自分をさらけ出すことが出来る場です。これが私学の良さだと思いました。
自己紹介の時、同窓生の一人が、「自分は今、障がいを持った二人の子どもを育てています。今日は 主人に預けて出席いたしました。この子どもたちによって自分が見えてきました」と明るく話されました。会が終わってから話に来られたのですが、シスターは肩を抱いて、たたいただけで何も話ができませんでした。神さまがなさっていることに口をはさむことが出来なかったのです。神さまはこのお二人のお子さんを通して彼女に光を与えられ、それを受け入れたのでしょう。
夏の日に咲く朝顔が光を受けて開花するように、あなたたちの近くに
光源になっている人が必ずいます。そしてあなたも誰かの光になっています。
しかし光は暗闇でしか見えないのです。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
(「ヨハネによる福音書」第8章12節)
「わたしは世の光である」方に、暗闇の中でこの光に出会うのです。きっと「はっ」とするような 光でしょう。
「神さまがこの私を先に愛された」(「ヨハネの手紙 一」第4章10節)ことに気付き、驚きます。
≪ひかりをあびて≫
ひかりをあびて ともにつどい ひかりをあびて ともにかがやく
見つめあい たしかめあおう 一人ひとりの このいのちを
かけがえ のない きらめきを
ひかりをあびて ともにつどい ひかりをあびて ともにかがやく
手をかかげ もえたたせよう ひとりひとりの
このおもいを つきることのない かがやきを
ひかりをあびて ともにつどい ひかりをあびて ともにかがやく
よろこびを つげしらせよう もえるほのおの このいぶきを
ひかりでみたそう この世界を
ひかりをあびて ともにつどい ひかりをあびて ともにかがやく ひかりをうけたのだから
シスターのひとこと
「とっさ」の出会いで「はっ」と気付いたら大切にベレーの中で温めましょう。
夏はベレーをかぶっていませんでしたね