『ともに歩む』宗教科 納富幸夫
テーマ「ともに歩む」
「尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」
(ローマの信徒への手紙 第12章10節)
○「福岡海星の一員として、進んで自分を活かすことができる喜び」を感じることができますように。
「18歳のわたくし」より
○「キリストが人を愛したように、社会や人のために自分を使うことができます」ように。
「18歳のわたくし」より
- 創立60周年記念海星祭での私たち一人ひとりの働きが、私たちの隣人の支援となりますように。
パウロはここでは、救いについての教えではなく、キリストに従って生きる人たちの新しい生活のための倫理的勧告を行っています。まず生活の基本的原理である「愛」について簡潔に12か条を語っています。すなわち、「悪を忌み嫌い、善から離れてはいけません。兄弟愛をもって互いに愛し合い、尊敬をもって互いに相手を 優れた者と思いなさい。怠けることなく励み、熱心に努め、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りに励みなさい。聖なる人たちの貧しさを自分のものと考えて力を貸し、手厚くもてなしなさい。迫害する者のために祝福を祈りなさい。呪ってはいけません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい・・・・・」などです。
今月の聖句はその中の一つ、「相互愛」です。私たちはもちろん、互いに尊敬し合わなければならないことは 充分承知しています。しかし、現実の生活の中ではどうでしょうか。無視されたとか、感謝されなかったとか いうことはなかったでしょうか。互いに尊敬し合うということは、容易なことではないのです。それには常に 「謙遜である」ことが大切なのです。多くの人たちは、まず、自分の権利や特権、地位にこだわります。そこでパウロは、キリストと共に歩む人は、ただ、自分の義務を大切にして生きる人だと言っています。第2にパウロは「愛は誠実でなくてはならない」と言います。愛には見せかけも偽善も裏面の動機があってはならないと言います。私たちの愛は、利己心を取り去った愛なのです。また、第3に「悪を憎み、善に親しむべき」と言います。多くの人が憎んでいる悪は、悪ではなく、悪の結果であるといいます。悪から生じる結果を恐れて善良であるのは、真の善良な人ではないのです。悪からの防御は罪の恐ろしさを知ることです。第4に「兄弟の愛でもって 互いに慈(いつく)しめ」と言います。私たちは単なる知人の集まりではなく、友人の集合でもない、神における一つの家族であり、兄弟姉妹なのであると言っています。第5に「熱心で倦(あぐ)んではならない」と言います。決して無気力の余地はなく、人生は常に生命と死の間の選択で、この世は常に善と悪の間の戦場であり、短い人生は、永遠の為の準備の時間であると語っています。第6は「心を最高度に保っていなければならない」と言います。今日、私たちは熱心を軽蔑(けいべつ)しがちであります。それは、『何とかなるさ』に表されています。キリストに従う人は、 真剣さにおいて必死な人であり、火のような気骨がある人だと言っています。第7の勧告は「主に仕えよ、時に仕えよ」です。即ち、「時宜(じぎ)を掌握(しょうあく)しなさい」です。人生はあらゆる種類の機会(新しいことを学ぶ機会、激励や警告の言葉を語るべき機会等)をしばしば的確につかみ損(そこ)ねることがないように、ということです。『戻ってこない事柄が三つある。それは、― 放った矢、話したことば、失った機会 ―であると。』第8は「困っている人と分かち合うべきである。」得る事ばかりを一心に願っている世にあって、一心に与えようとしているのが、キリストと共に歩んでいる人なのです。それは ≪保とうとする者はこれを失い、与える者にはかえって与えられる≫ ことを知っているからであると言っています。第9は「希望をもって喜ぶべきである。」神は常に絶えざる恵みと、私が弱いときに強くされることを知っているゆえに、どんな課題にも希望を失わない。「人生には希望無き事態はない。ただ、自分について希望を失う人がいるだけである。」と言います。そして第10、「絶えず祈るべきである。」また第11、「艱難(かんなん)に対して不屈の精神でもって対処すべきである。」最後は第12、「旅人をもてなすべきである」と述べています。