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講堂朝礼〜生徒へのメッセージ〜

Messages for Students

ミッションウィークⅡ 「導き」教諭 坂口令

 私は、キリスト教信者である両親の間に生まれたため、自分の意思とは関係なく、生まれながらにして洗礼を受け、キリスト教信者となりました。洗礼を受けると、洗礼名を授かるのですが、両親は、神父様と相談して「ドン・ボスコ」という聖人の名前を私の洗礼名としました。このように洗礼を受けた私は、毎週日曜日に教会に行くことが当たり前となっていました。それが、小学生になると教会に通うことに義務感が出てくるようになり、教会に行くより野球をしたいと思うようになり、毎週嫌だな~と思いながら教会へ通ったことを憶えています。中学生になり、野球部に入りたいと思っていた私にとって教会は大きな壁となり、日曜日に練習のないと思われる部活の中から、テニス部に入部することになりました。しかし、入部してみると、テニス部は日曜日に練習があり、野球部は休みという結果となり、私は教会から徐々に遠ざかっていくことになります。ただ、このような理由で偶然始めたテニスが、今も続いており、生涯の趣味となったことは、今、思うと不思議なことだなと思います。

 中・高校生と教会から離れつつも、部活が休みの日やクリスマスや復活祭など特別な日に教会へ通うことはあり、たまにある教会の勉強会などにも嫌がりながらも参加をしていました。自分の遊ぶ時間を奪われることが嫌だったのだと思います。大学生になると一人暮らしを始めたため、親から強制されることがなくなり、教会へまったく行かなくなりました。でも、寝る前にお祈りをするという習慣はずっと続いていました。実家に帰った時のみ教会へ行くという生活が何年も続きました。教師として働き出して、舞鶴、久留米附設と働く場所が変わってもその生活は変わりませんでした。ある日、一本の電話が掛かってきて、私は海星で働くことになりました。キリスト教の学校ということを母親に告げると、母親から「ほらね、そうなるようになっていたんだよ。良かったね、神様のお導きだよ。」と言われました。想像以上に家族、親戚が海星で働くことを喜んでくれました。そして、就職した後に、親戚が海星小学校で働いていたり、大学の恩師がその時の校長先生とお知り合いだったり、私の周りにいる人が海星とつながっていることを知りました。ただの偶然ではない、確かに何かに導かれている、そう思える出来事でした。海星で働くことになり、再び教会へ行かなければいけない、その日々が戻ってくる。それは覚悟をしていました。どの教会に行こうかと悩んでいると・・・その時海星にいらっしゃったシスター重藤が「私の高宮教会へいらっしゃい」と誘ってくれました。そして、「教会へ行くことが苦痛です」ということを思い切って相談してみると、「そんなこと気にする必要は無いよ。教会には行きたいときに行けば良い。教会から離れることは誰にでもあること。でも、必ず何かをきっかけとしていつか戻ってくる」、「神様の導きが必ずある」と言われました。この言葉にとても救われたことを今も鮮明に覚えています。海星で教師を続けていく中で、再び聖書の言葉や聖歌に触れることが増えていきました。子どもの頃、まったく分からなかった聖書の話が少し理解できるようになっていました。そして、子どもの頃から心地よく聴いていた聖歌は、大人になった今でも癒やしでした。子どもの頃、教会は苦痛でしたが、教会で聴く聖歌は好きでした。特に「ごらんよ空の鳥」という聖歌、これが私の一番のお気に入りでした。海星に来て、歌詞が聖書の一節であること、アシジのフランシスコとの関連など、多くのことに気付きました。

 そして、結婚、子どもを授かるという人生の節目を通して、人との絆の大切さ、つながりをより意識するようになりました。周りへの感謝の気持ちもより強く持てるようになりました。生徒の皆さんにも、最初は恥ずかしかった自分の感情を話すことも素直に表現できるようになってきたと思います。

 今、皆さんが海星で学んでいる宗教に関すること、今すぐには理解できないことがたくさんあるかもしれません。私がそうだったように、人生で様々な節目を経験する中で、きっといつかその意味が理解できる時が来ます。どうか、今、海星での時間を大切にして欲しいと思います。聖歌をゆっくり聴いて欲しいと思います。「ごらんよ空の鳥」は、生徒手帳の41ページにあります。

 最後に私の洗礼名であるドン・ボスコは、聖人の中でも教育に力を注いだ聖人だそうです。これも私が海星で働くようになった後に母親から教えてもらいました。生まれたときに授かった洗礼名ですが、今、私は教師をしています。何か不思議ですよね。あれだけ嫌がって教会から離れていた私ですが、娘には洗礼を受けさせ、洗礼名はステラ・マリス、つまり海の星です。娘は夜、寝る前に私の横で十字を切ってお祈りをしています。

 今、振り返ると、私の価値観を形成するうえでキリスト教の考え方が実は大きなものを占めていたのかもしれません。若いうちに、宗教に触れることの大切さを、実感している今日この頃です。皆さん、一人ひとり、それぞれの人生があります。きっと神様のお恵み、導きがあなたたちにも必ずあります。

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