「生かされる」校長 古賀誠子
校長 古賀 誠子
たぬきの森の駐車場の一角に、オレンジ色のあんず(アプリコット)の実がたくさんなっています。その実は、雨が降ると、キラキラと光って、実際の大きさよりも大きく見えます。自然の恵み、素晴らしいですね。
さて、シスター入江から一枚の絵ハガキがとどきました。聖母月の宗教朝礼のメッセージ、みなさんの手元にありますか。チャペルノートに貼ってあると思いますので、ページをめくってみてください。右下の白いユリの花の絵と共にこう書いてあります、「わたしにしかできないこと。」 先日、本をたくさんいただきました。5代目校長のシスター小沢からです。シスターから皆さんへのメッセージがたくさん詰まっている本ばかりです。そのうちの一冊、『ぬくもりの記憶』の1ページを紹介します。
「なぜ生きなければならないのか」と若者から問われることがある。私自身も、「何のために生きるのか」と若いころよく考えていた。どんなに考えても答えのない難問だが、もしかすると問いの立て方が間違っているのかもしれない。わたしたちは、「生きる」というよりむしろ「生かされている」存在なのではないだろうか。心臓の動きを考えてみれば、そのことが分かる。毒を使ったり、刃物で傷つけたりして、心臓の動きを自分の意思で止めることは確かにできるだろう。だが逆に、心臓が止まろうとするとき、それを自分の意思で動かし続けることは決してできない。どんなに生きたいと願い、心臓に「動き続けろ」と命じても、心臓は時が来れば止まってしまうのだ。そもそも、自分の意思で母の胎内に宿り、生まれてきた人はいないだろう。つまり、わたしたちは、自分の意思で死ぬことはできても、自分の意思で生きることはできない。わたしたちは、「生きる」というより、むしろ「生かされている」存在なのだ。だから、わたしたちが人生の意味を問うなら、「何のために生きるのか」ではなく、「何のために生かされているのか」が正しい問い方だろう。問いの答えをすぐに出す必要もない。人間を超えた大いなる命、創造主である神が私たちを造り、生かしているなら、「わたしたちの人生には必ず意味がある」と信じ、与えられた命を精一杯生きる。それだけでいいのだ。野に咲く花は、「何のために生きるのか」と悩んだりしない。ただ、命の限り、精一杯に咲くだけだ。それが生かされてあるものの本来の姿なのだろう。 -『ぬくもりの記憶』より抜粋
さて、5月はマリア様の月、受胎告知の場面をもう一度思い起こしてみましょう。聖母マリアへの突然の天使の訪問、しかも「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」という言葉は、イエス様の母、マリアに大きな驚きを与えたにちがいありません。マリア様は、天使の言葉に、戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかとお考えになられたことでしょう。なぜなら、神様の大きな恵みを受け、「主があなたと共におられる」という内容から、神様が自分に果たさせようと望んでおられる特別な「使命」を予感したからです。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい。」「どうしてそのようなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに。」それに対して天使が答えます。「聖霊があなたにくだり、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なるもの、神の子とよばれる。」「わたしは主のはしためです。お言葉の通り、この身になりますように。」ここで私たちが覚えておきたいのは、マリア様の生涯は、神の望みに対する絶え間ない「はい」という承諾の精神に貫かれているということです。
先日の聖母月の朝礼のシスターのメッセージの中にあった、「自分贈与」という言葉、お分かりになられましたか。「神様のご計画は、無償の自分贈与によって実現します。そこに喜びがセットされています。」とシスターはおっしゃいました。ご一緒に東日本大震災で被災した3人の方のビデオクリップを見ました。最初の女性の話に、こうありました。「たくさんの友人たちが一瞬で目の前からいなくなり、自分だけが生き残った。私は、今、『生かされたもの』として何ができるのでしょうか。」確かに彼女は『生かされたもの』という言葉を使いました。ドキッとしました、その言葉には抱えきれないほどの重みがありました。
『生かされているもの』には責任があります。あなたの果たすべき責任は何ですか。「わたしにしかできないこと。」を最後まで精一杯行いたいですね。高校生は自分の使命を認識し、大きな選びを行う場に立たされています。センスの良い選びを期待しています。
他者のために自分の手と足、そして心を動かす生き方、それが「無償の自分贈与」です。野に咲く花のように、命の限り精一杯咲く人あってほしいと願います。あなたも、そしてわたしも「生かされている」自分を認識し、わたしにしかできないお仕事をしたいですね。神様はわたしたち人間の自由な協力を求めていらっしゃいます。
今日という一日が、価値ある一日となりますように。よき一日をお過ごしください。