第1学期 終業式 校長 古賀誠子
校長 古賀 誠子
ただいまお読みいただいた聖書の箇所は、マタイによる福音書25章37節から40節まででした。主が、天使たちを皆従えて、栄光に輝く座に着かれる時、正しい人たちをお呼びになりこう言われました。「わたしの父に祝福された人たち、天地創造のときから、お前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、私が飢えていた時に食べさせ、喉が渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからだ。」すると、 正しい人たちが聞き返しました。「主よ、いつ我々がそうしたのでしょうか?」その時、主は「はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。」とお答えになられました。
また、聖書の創世記18章には、こうあります。ある暑い日、アブラハムのもとに、突然3人の人がやってきた。アブラハムはこう言います。「お客様、よろしければ、どうか、僕(しもべ)のもとを通り過ぎないでください。水を少々もってこさせますから、足を洗って、木陰でどうぞ一休みなさってください。」
当時のメソポタミアやカナンの原住民は旅人たちを暖かく持て成したそうです。あの有名なハンムラビ法典にも、旅人への扱いについて記録されていると言われています。しかし、彼らが持て成した旅人は同じ民族や国の人に限定されていました。外国人や旅人には手厚い持て成しをしなかったのが定説です。それは、手厚くもてなしても、自分にとって何の利益にもなかったからです。
しかし、アブラハムは違いました。この3人の客を、神に奉仕するかのように喜んで迎え、大変手厚く持て成したのです。そして、その客たちは、実際、神の御使いたちで、神の御言葉をアブラハムに持ってきていたのです。年老いたアブラハムとその妻サラに、「来年の今頃、男の子が生まれているだろう」と語ったと記されています。そして、実際に生まれたこどもがイサクです。
私たちは、この話から「神様は貧しい隣人や旅人の姿、弱い人の姿をして、私たちの所に訪ねて来られる方である」ことを学びます。ひょっとしたら、今、一緒に教室にいる友人たち、あるいは自分とはちょっと気が合わないな、意見が合わないなと思っている人が、私の前に来ておられる神様かもしれません。私たちが人を遠ざけ、人に冷たく接する時、私たちは神様を遠ざけ、冷たくしているのかもしれないとおぼえておかなければなりません。
次は、先日ご紹介した本「ぬくもりの記憶」からの引用です。「マザーテレサは、『貧しい人たちの中に、イエスを見なさい』と口癖のように言っていた。実際、マザーはどんな人の中にもイエスを見ていたようだった。それは、ぼろぼろになって施設に運ばれてくる貧しい人たちを見つめる、マザーのまなざしを見ればわかった。その人たちを見つめるマザーのまなざしは、まるで貴重な宝石でも見つめるように、いつもきらきらと輝いていた。マザーは、確かに私たちが見えないもの、何かとても価値のある大切なものを相手の中に見ていたようだった。それがきっとイエスだったのだろう。」
私は、3年生のルーツの旅にまいりました。修道院のシスター方は、海星の生徒のために、前日からシスター方皆でお御堂の消毒、待労院の消毒をしてくださっていました。ベトナムから来たシスターが、若い人たちが来るので、元気のいいお花を準備しましょうとおっしゃってくださって、暑い中、修道院のお庭から花を摘み、大きな花瓶一杯に色とりどりの花々を活けてくれていました。1日しか咲かないサボテンの花が明日咲きますようにと前日から祈ってくださったそうです。そして、なんとその花が見事に咲いていたのには驚きました。ピンクのサボテンの花。たった一日しか咲かない花が、「よくきたね」と語りかけるようでした。一人一人に手作りのマスク、丁寧に袋詰めされた2枚のポストカードもいただきました。シスターたちは、こうして私たちを大変手厚くもてなしてくださいました。なぜでしょう・・・それは、私たちの中に神様がおられるからです。
3年生は海星のルーツをあらためて確認しました。何の生活の保障もされない場所に、5人のシスター方が船でわたってこられました。それは、ハンセン病の患者のお世話をするためでした。資格など何も持たない、看護師の資格があるわけでもない、5人のシスター方が持ってきたものはただ「愛」であった、とシスター入江はおっしゃいました。2年生は、平和について学びました。被爆マリアの御像に、何を祈りましたか。「平和をつくる」とは、まず、今、あなたのそばにいる隣人との間に平和がありますかと自分に尋ねてみることからはじまります。困っている人、悩んでいる人に寄り添うことが出来ていますか。あるいは、この人とは合わないと諦めていませんか。1年生は、潜伏キリシタンの信仰生活に触れ、世界遺産の神秘に学びました。神様の計画に信頼を寄せ、どんなに困難な状況でも「はい」と承諾を貫く信仰です。「信じる」ことは人を強め、その人の心を豊かにします。そして、私たちはそこから、人としての「生き方」を学びます。2学期も、楽しく聖書について学びましょう。
1学期が終わりました。始業式にお話しした通り、神様のご計画の下、みなさんには新しい出会いがたくさんありました。うまくいったことも、いかなかったことも、すべて神様のご計画だと信じる自分でいたいです。緊急事態宣言、その延長など、昨年度とあまり変わらない状態が続いた1学期でした。しかし、コロナの状況は変わらなくても、私たちは昨年の私たちとは随分ちがいます。今私たちには、困難・苦労の中で、毎日を工夫しながら明るく過ごし、前進する知恵と勇気、行動力があります。毎日、お掃除の時間になると、感染がおこらないように丁寧に消毒する、検温器の前で立ち止まって、検温する、黙って食べる、離れて話す。これらも、パンデミックを生き抜くためのスキルとなりました。応援披露会、素晴らしい演技を見せてくれてありがとうございました。皆さんのアイディアと協力をもって、今できるベストを形にすることができたと評価しています。そして、9月に行われる愛校バザー、テーマ「ここからつながる」での協力もどうぞよろしくお願いします。
今からしばらく夏休みに入ります。誰もがかかる可能性のあるコロナウイルスですが、第1学期、一人も感染者がでることもなく、無事に1学期を終えることができるのは、学校としては大変ありがたいお恵みでした。そして、皆さん、そしてご家族の努力と協力に感謝しています。夏休みも引き続き感染防止に努めてください。 これから、およそ1カ月の夏休みになりますが、成績表をもらって、三者面談の内容を受けて、しっかりと振り返りをして、すぐに行動にうつしましょう。コロナ禍であっても時間はいつも通りすぎていきます、あなたの卒業後の進路をしっかりと見据えた計画的な取り組みを期待します。
それでは、皆さん、よい休暇をお過ごしください。