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講堂朝礼〜生徒へのメッセージ〜

Messages for Students

11月のみことばと意向  宗教科 阿部光喜 

宗教科 阿部 光喜

十 明日があると思ってはなりません。

 今日一日が大切であり、今が大事なのです。

 生きていることが習慣になってはなりません。朝の目覚めは奇跡です。

  今日一日、いのちをいただいたことに感謝しましょう。

(「そよ風のように生きる」)より

― 旅ゆくあなたへ

              11月のみことばと意向

                「いのちの絆」

「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」

                 マタイによる福音書28章20節

・「死者の月」にあたり、東日本震災などの震災、大雨による水害、新型コロナ感染症のために亡くなられた方々の永遠の安息を祈ります。また、大切な人を亡くされた家族に慰めが与え           られますように。

・亡くなられた方との絆を感じ、天の国で見守ってくださることに感謝し、私たちが人生をよりよく生きていけますように。

・「存在の土台に神の愛があることを知り」謙遜な心で日々の生活の生活を送ることができますように。 

 「18歳のわたくし」より

11月のテーマ「いのちの絆」について考えてみましょう。

数年前になりますが、この歌をテレビ等で知りました。きっと皆さんも、メロディーを聞くと「ああ あれ」と言うでしょう。「千の風になって」という曲です。知らないという人もいると思います。メロディーはともかくとして、曲の歌詞です。

 「私のお墓の前で泣かないで下さい。そこにわたしはいません。眠ってなんかいません。千の風に。千の風になってあの大きな空を吹き渡っています。秋には光になって畑をふりそそぐ。冬はダイヤのようにきらめく雪になる。朝は鳥になってあなたを目覚めさせる。

夜は星になってあなたを見守る。わたしのお墓の前で泣かないでください。そこにわたしはいません。死んでなんかいません。千の風になってあの大きな空を吹きわたっています。                    (新井 満 作詞作曲) 

この歌はひとつの真理を思い起こさせます。亡くなった人はこの世に存在しなくなったのではない。今も生き続けています。今まで以上にわたしたちの身近に。そして歌詞は愛する人への LOVE  LETTERなのです。

ローマカトリック教会では、11月は「死者の月」です。教会は古くから11月を死者を偲び、その方々がこの世にありし日に神からいただいたすべての恵みに感謝し、また亡き方々への神の憐れみを祈る月と定めています。それは、すでに神のもとに旅立った愛する家族や恩人、友人を偲ぶとともに、私たちも同じく「死」を体験することを思いおこすためでもあります。

皆さんは「死」について考えたことはありますか。いつも楽しく過ごしてしているとそんなことはあまり心にとめません。しかし、どんな人間でも必ず死にます。決して死なないで、ずっとこの世に生きる人は一人もいません。

 朝の目覚めは奇跡。本当にそう思いませんか。夜ベットに入るとき「祈り」もそこそこに、ただひたすら眠りの世界に、明日への目覚めなんか考えたこともない。誰も明日の「いのち」を約束したり、明日も元気で目が覚めるとの契約はありません。

この「みことば」の文を書いていて、私が高校生だった頃、私は「死」が身近には考えられなかった。身内の死、身近な人の死に関わったときに、はじめて悲しくつらいことでしたが、時間が過ぎるとあの悲しさはどこに、ましてや「死」をわが身において考えることは、現実的に難しいことかもしれません。

きっと皆さんも11月は「死者の月」です。死について考えてみましようと言われても実感がわかないことだろうなあと思いつつ書いていますが。 11月を他の月以上に、人間として「よく生きる」ために細心の注意を払うと共に、かけがえのない自分の命を大切にするとは、どんなことなのかについて、この月は心に刻み「気高い心」を持って生活するように願っています。

いのちは、神様の領域です。最初の文で「朝の目覚めは奇跡」と書いていますが本当にそうですね。朝の目覚めは神様からいただいたあなたの使命を果たす大切な24時間としてお与えになったものです。

私たちは「自分しか果たしえない使命」をもつ存在である。それは、私たち一人ひとりが出会う人が、それぞれ異なるという意味です。私たちは出会う人とのかかわりの中で、自己の使命を果たして生きる。自分の「今」に「意味を持たせる」のは、自分自身であるということです。平凡な毎日に意味を持たせ価値をつくり出す創意工夫、努力を怠らないことが大切です。

そして、どうぞ身近に亡くなられた方がおられた人は、その方に思いをはせ、ご冥福をお祈りして下さい。亡くなられた方にとって、いっも思い出してくださっている方がおられるということは、大きな喜びではないでしょうか。きっとあなたのこともしっかり見守っていてくださると思います。

「生」が私たちの力を超えて与えられたものならば

「死」もまた私たちの力を超えて与えられるもの。

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