「助け合う」Sr入江純子
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助けるものを創ろう。」
(創世記 第2章18節)
梅の蕾が膨らんできました。暖かくなりましたね。
お正月前に大きな魚のぶりを頂きましたが誰がさばけるかと困っていました。
とりあえず冷凍をしたままお正月が過ぎました。1月6日は本会の創立記念日でお祝いです。
修道院のひろい庭の手入れをして頂いているおじさんの本職はお寿司屋さんですが、コロナのため店の仕事の合間に草を刈って下さっています。この方に料理をお願いしました。
高齢者のシスター達のために、中巻の巻きずし、ご飯の量を少なくしたぶりの握り、小さめの稲荷など食べやすいように作って下さいました。きれいに盛られたお寿司を見て、みんなの食欲はアップしました。
お帰りになる時、お礼を申し上げたら 「修道院のお祝いの日に本職で使って頂いて感謝です」と言われました。
今日も庭から草刈り機の音が聞こえてきます。
創世記2章18~23節
主なる神は言われた「人は独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれ
をどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることはできなかった。
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人は眠り込むと、あばら骨のいち部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところに連れてこられると、人は言った。「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉」これこそ、女と呼ぼう
助ける者として造られている私たちは人とどのように関われば良いのでしょうか。
喜びをとりもどす関わり。
生きていてよかったと思える関わり。
大事なことは「無償性」であることです。それは結果を期待せず、何ら直接の見返りを求めずに、それ自体が良いことだというだけで、何らかの力で動き出します。
カナの婚礼 ヨハネによる福音 抜粋
ガリラヤのカナに婚礼があり、そこにイエスの母マリアがいた。葡萄酒が無くなりかけたので母はイエスに
「葡萄酒がありません」と言った。するとイエスは母に「婦人よこのことについて、わたしとあなたとは考えが違います。私の時はまだ来ていません」 母は給仕を呼んで「この人の言う通りにしてください」
イエスは給仕に「かめを水いっぱいにしなさい」彼らは水がめのふちまでいっぱいにした。イエスは「それを汲んで世話役のところに持って行きなさい」彼らはそれを持って行った。
世話役はそれがどこから来たのかを知らなかったので花婿を呼んで「誰でも初めに良い葡萄酒
を出して酔いのまわったころに質の落ちる物を出すものですが、あなたは良い葡萄酒を今までとっておかれました」
母マリアの無私無欲のひとことでイエス様が動きました。そして婚礼の場が楽しくおさまりました。
私たちも助ける者になった時 水が葡萄酒に変化するようなことがひょっとしておこるかもしれませんね。
シスターの一言
きっと水が葡萄酒になりますよ。海星の皆さんは、とても大事なこと、小さなマリアとして愛すること知っていますから。