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講堂朝礼〜生徒へのメッセージ〜

Messages for Students

「幸せになろうとして」校長 古賀 誠子        

2月3日節分、4日の立春を迎えたころから、比較的穏やかな天気に恵まれています。これから、季節は寒くなったり、暖かくなったりを繰り返しながら、春にむかっていきます。桜の咲く季節が待ち遠しいです。3年生は卒業まであと3週間足らずになりました。現在、自宅学習期間に入っている3年生ですが、私立大学の入試はほぼ終了し、2月下旬からはいよいよ国公立大学の入試がはじまります。志望する大学に全員が合格できるようにと祈り、今は発表の日をドキドキしながら待っています。

令和2年4月、未知のウイルス、コロナウイルスの出現とともに、入学してきた3年生ですが、高校生活が休校からはじまりました。入学式をすることができませんでした。学校行事も、はじめの2年間は、ほとんど実施できませんでした。コロナウイルスに悩まされ続け、社会全体が閉塞感に襲われました。「国難」と言われたコロナウイルス感染症の拡大、わたしたちは、感染への恐れと社会生活の両立に誰もが悩んだと言えます。学校にとっても試練の時でした。これまでの教育活動を見直し、「真に大切なものだけを選び取る」必要がありました。そして「大切なもの」が近づくと、どうかコロナの波がきませんようにと一生懸命お祈りしました。学院中の先生方が、そして、シスター方がみなさんのためにたくさんお祈りくださいました。今、この3年間のことを思うと、「祈り」の日々であったと考えます。祈り、祈ってもらう、多くの人々に支えられ、私たちは人とのつながりの中で「生かされている」存在であることを認識し、謙虚な気持ち、感謝の気持ちをおぼえるようになりました。このような祈りによる「連帯」も、神様が私たちにあたえてくださった「真に大切なもの」の一つであると考えています。

今年度は、ほぼ平常通りの学校行事を行うことができました、今では、これまでの「当たり前」が奇跡だと思うようになりました。体育会や、海星祭、そして球技大会などで生き生きとした姿を見せてくれた3年生。これまでの経験がなかったにもかかわらず、すばらしい出来栄えの行事でした。心から誇りに思います。3年生は、この高校生活についてどう考えるのでしょう。27日に行われる静修会で、3年生の振り返りが聴けることを楽しみにしています。今年の卒業式は、在校生の皆さんも出席できるようにしています。祈りをこめて美しい聖歌を、心をあわせて歌いましょう。卒業する3年生の前途に神様の豊かな恵みがありますようにと祈り、心温まる卒業式にしたいと考えています、みなさんの温かい想いと、協力を願います。

 さて、1週間前のシスター入江のご講話の中に、「かなえられない祈りはない」という無名兵士によって書かれた「祈り」が紹介されました。この詩は、アメリカのニューヨーク大学のリハビリテーション研究所の壁に、ある一人の患者によって刻み込まれた詩で、アメリカの南北戦争に従軍したという無名の南軍兵士によるものとされています。この兵士は負傷した体を抱えながらも、詩の中で、自分の人生を、「あらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福された」と締めくくっています。実はこの詩には、いくつか日本語訳があって、今日は皆さんに、別の訳のものをご紹介します。考えながらよく聞いてください。

タイトルは、「幸せになろうとして

Creed for those who have suffered ~悩める人々への信条~

大きなことをやろうとして

力を与えてくださいと望みましたが、

小さなことにも素直になれるようにと

やさしい心をもらいました。

もっと大きなことができるようにと

健康をくださいと望みましたが、

もっとすばらしいことができるようにと

人の痛みがわかる体をもらいました

幸せになりたいと

たくさんのお金を望みましたが、

賢く生きられるようにと

貧しい生活をもらいました

たくさんの人に褒められたいと

偉い人になれる力を望みましたが

宇宙で一番大切なことの前でひざまづくようにと

謙虚な心をもらいました

毎日楽しく暮らそうと

いっぱい物をのぞみましたが

悲しみも苦しみも喜べるようにと

大切な命をもらいました

望んだものは一つももらえませんでしたが

みんなから正しい人と思われない私なのに

望まなかった清らかな心の願いはかなえられていました

私は地球の人の中で誰よりも大切にされていることに気づきました。

大きなことを成し遂げたい、健康でいたい、世の人から賞賛されたい、お金が欲しい、人生をもっと楽しみたい。特に若いころは、このようなものに高い価値を求めがちです。年を重ねてからでも、「健康でいたい」という気持ちは、誰でもいつも持っています。この詩のなかで、これらの多くの人が願うことを、自分には「何一つ与えられなかった。」とこの兵士は言っています。そして、その代わりに神様が自分に与えたものは、優しい心、人の痛みが分かる弱い体、貧しい生活、へりくだる謙虚な心、そして命であった。そして最後に、自分を「地球上の人の中で誰よりも大切にされていることに気づいた」と言って締めくくっています。この詩を、「私の望んだものは文字通りには叶えられないけれど、より深い意味のところで神様が必ず叶えてくださっている。」と解釈している宗教者もいます。

まもなくアフターコロナの時代に入ると思われます。私たちは、3年前の日常生活に戻ることを願うべきでしょうか。コロナという人間に与えられた未知のウイルスにも、それによって世界中で混乱がおこったことにも、神様から発信されたメッセージがあると考えます。確かに、コロナによって、失われたものはたくさんあった、私たちの願ったものは叶えられなかった、期待していたものが何も与えられなかった、と考えることもできるでしょう。しかし、海星の生徒たちはこれまで学んできた知識をいかし、「カトリックの教えに根差した方向性をもって」(「18歳のわたくし」より)、もっと踏み込んで、深く考察できるものと考えます。

始業式の日の聖書の箇所をもう一度思いだしてみてください。「神様は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めておられます。そして、それは、あなたがたに将来と希望を与える計画です。」今の私が、この詩について、みなさんに一つだけお話しできるとしたら、「私たち人間には、欲しいものが与えられるのではなく、必要なものが与えられる。だから、人間の目からみた良いことにも悪いことにもすべてに価値があり、意味がある。」ということです。

コロナによって、神様は私たちに何をお与えになられたのでしょうか。そして、これから、あなたは、何を求め願って祈り、これからの長い人生を生きていくのでしょうか。社会、そして世界を、みなさんが主体となって動かしていく新しい時代は、あと10年もすると始まります。目に見えない「真に大切なもの」が見えるあなたであってほしいと願っています。

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