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受け入れる

教頭 松本 裕子

〇 二学期が始まり、子どもたちもすっかり学校生活のリズムに戻って参りました。

 緊急事態宣言が延長になり「子どもたちの学校生活はどうなるのだろうか」とご心配とご不安を抱えていらしたかと存じます。学校は「子どもたちの学びを止めない」という基本方針で新型コロナウイルスの感染蔓延対策を講じながら、学習や行事を工夫して「このような時だからこそ、みなで心をひとつにして乗り越えていく」ことの大切さを学んでいっております。

 保護者のみなさまには、学校の教育活動にご理解と協力をいただきまして、毎日、お子さまの登校に際し、背中を押してくださり、感謝申し上げます。

〇 さて、夏の東京オリンピック、パラリンピックが終わりました。学校でもパラリンピックは休み時間などを通して子どもたちと視聴しました。子どもたちの眼には、パラリンピックの選手の姿がどのように映ったのでしょうか。「体が不自由でも自分の持っている力を充分発揮しているのがすごい」「わたしは体が不自由でなくてよかった」「自分は自分の力を充分に発揮しているだろうか」など、子どもたちの捉え方はさまざまです。

 最近、オリンピックやパラリンピックに出場した選手の特集番組をよく見ます。国の代表になることだけでも険しい道のりです。また、自分が極めた競技が競技種目に選ばれないこともあります。不慮の事故や生まれつきで体が不自由になった選手たちや家族は、この現実をどのように受け止めたのでしょうか。

〇 夏休みに一冊の本「金子みすゞ・金澤翔子 ひびきあう詩と書」を中村智彦先生から紹介してもらいました。

 金子みすゞは、本名 金子テル。明治36年、山口県仙崎村で三人兄弟の長女として生まれます。父を3歳で亡くし、弟は養子にもらわれ、家族との別れを経験します。その後、母は再婚し、みすゞは20歳のころから詩を書き始めます。作品が雑誌に掲載され、詩人として認められていきます。23歳で結婚。長女ふさえが生まれますが、夫の放蕩がひどく、詩を書くこと、詩人仲間に会うことも反対され、心身ともに疲れ果ててしまいます。そのため、離縁をするのですが、娘の親権を夫がとったことにより、26歳の若さでこの世を去ります。

〇 一方、金澤翔子さんは、昭和60年東京都に生まれます。母、泰子さんが翔子さんを身ごもったときに「金子みすゞ全集」と出会い、お腹の中にいる翔子さんに金子みすゞの詩を読み聴かせます。やがて待望の翔子さんが誕生しますが、「ダウン症」と医師から告知されます。今の医学では治らないダウン症を奇跡で治してほしいと神に祈ります。自分の命と引き換えに治してほしいと祈ります。その祈りの中で神の声を聴きます。「目に見えないものの偉大さ」です。母泰子は、みすゞの詩を娘の翔子に書かせようと思い、泰子を師事とし5歳で書道を教えます。10歳で初めて「般若心経」を書きます。14歳の時に父が急死し、みすゞと翔子は、同じ境遇となります。翔子は、23歳で個展を開き、その後大河ドラマの題字を揮毫するなど活躍し、30歳で「金子みすゞ・金澤翔子 ひびきあう詩と書」展を開催します。母は「みすゞと翔子のあいだには比べようもないほどの隔たりは在るけれど、みすゞは知性で、翔子は感性で、ある共通の領域を持っている。長い年月の隔たりがあり、表現の手段も違うけれど、ふたりは目に見えないものをありありと見ている」と。

〇 人は人生において受け入れ難いことがたくさんあります。「なぜ?」「どうして?」という壁にぶつかります。イエスは十字架にかけられた時、自分の使命を受け入れたので、心が平安でした。 「受け入れる」・・・一生の課題です。

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