校長室からMessage

新年あけましておめでとうございます

    校 長 山田 耕司

コロナ禍第6波の中で

〇 欧米の状況から新型コロナウイルスの爆発的感染 が懸念されておりましたオミクロン株の蔓延が、隣県の山口や広島・沖縄県から始まりました。約3か月の小康状態にややもすると気が緩みがちな私たちでしたが、3学期のスタートに当たり、初心に帰り蔓延防止対策の更なる徹底を図りたいと思います。「検温・マスク・手洗いと消毒・換気、3密を避ける」ことをご家庭と協力・協調して進めてまいりたいと思います。

 教皇フランシスコは、「私たち共通の家(地球)が受けた傷は、最も小さくされた人々に壊滅的な打撃を与えています。人々が属する夫々の共同体はどうしても必要な回心に貢献することができます。」とおっしゃっております。改めましてよろしくお願いいたします。

えんぴつの話

〇 元旦に、裏山でWalkingを愉しみました。私はロザリオ を唱えながらゆっくりと歩きます。この1年の子どもたちへの神様のお恵みを願います。落葉した木々の間から下の街が見えます。いつしか自分の小学生時代に返っておりました。

〇 セルロイドでできた筆箱(pencil case)には5本の鉛筆 と赤鉛筆、消しゴム、肥後守(小刀)が入っておりました。この肥後守で鉛筆を削ります。1本1本無駄がないように丁寧に削ります。鉛筆は短くなるとキャップや鉛筆ホルダーをつけて使いました。最後に短くなって使えなくなった鉛筆は愛用の秘密の缶にためておりました。そして弟と庭の片隅にえんぴつの墓を作り半年に1回埋めました。

〇 高学年になると色鉛筆が欲しくなりました。自分好みの ノートを書いていました。見開きの左側には、先生の板書を写し、横に疑問や質問を書き添えました。右ページには自分 で調べたことを書きました。国語の意味調べ、算数の問題
(母に作ってもらいました)、社会や理科は発展的に調べたことを書きました。白いページが埋まることが嬉しくてたまりませんでした。グラフや表やイラストを描くのに色鉛筆が欲しかったのです。お小遣いを貯めました。    

〇 時々母が兄弟の筆箱を覗いてえんぴつの話をしてくれました。特にイエス様の話、祖父から書道や礼法を指導された話は大変興味深かったです。教科書発行会社に勤務していた父が、時折印刷ミスの全紙を大量に持ち帰ってくれました。その紙を使って思い切り絵を描いたり地図を書いたりして遊びました。

世界史の教師

〇 大学を卒業し高校の世界史の教師になりました。あこが れの仕事でした。原点は高校時代に作った自分のノートです。
放課後自分のノートを携えて先生の所によく通いました。
 日本史の森先生は板付遺跡を発掘された著名な考古学者でした。とつとつと話をしてくださいました。「山田君、ちょっとそのノート見せてくれんかね」「う~ん中々だねえ」。

 八尋先生の世界史は、50分間ぎっしりと板書される授業でした。その知識量の豊富さにとまどいました。自分のものにするためにその日はノートの整理が必然でした。大学受験にも即適応できるノート作りを目指しました。

〇 教壇に立った私は、高校時代のノートを横に置いて教材 研究に励みました。板書計画を立てました。教える側の視点と教わる側の視点の交差を図りました。その作業が何とも面白かったです。

子どもの筆箱やノートに学ぶ

〇 ある小学校で担任をしていました時、クラスのかなりの子どもが清貧でした。教頭先生に頼んで落とし物箱から落とし主不明の文房具を分けてもらいました。教会のボランティア団体に援助してもらいました。質素倹約が当たり前の時代でした。子どもの持ち物に、その子の今が現れているのかなと思っていました。自分が母より教えてもらったように筆箱を覗いてえんぴつの話をしていました。自分が高校の先生方に導かれたようにその子のノートに興味を持ちました。

〇 先日、NHKのニュースで長崎のいじめ自殺の中学生の事例が取り上げられていました。暴力的ないじめはなかったそうですが、孤独感を漂わせる教室の空気感に耐えられなかったと父親が語っておられました。ノートに侮蔑的な致命的な落書きがいくつも書かれていました。「早く気づいてやればよかった」。

一人ひとりに寄り添う歩みを教職員一同今年も進めてまいります。どうぞよろしくご協力ご支援をお願いいたします。

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