校長室からMessage

ぶどうの木

教 頭 松本 裕子

ヨハネによる福音書

〇聖書のヨハネ15章に「わたしは真のぶどうの木であり、わたしの父は栽培者である。わたしに付いていて、実を結ばない枝はすべて、父がこれを切り取られる。しかし、実を結ぶものはすべて、もっと豊かに実を結ぶように、父がきれいに刈り込まれる。」とあります。

〇1月の「幼小合同宗教研修会」で大山神父さまからお話をいただいたみことばでした。私たち職員は3ヵ月に1回幼稚園の先生方と一緒に神父様から聖書のお話を聴いております。聖書を理解するための勉強会です。このみことばは、「いつも神さまと繋がっている」と感じる、私の好きなみことばのひとつです。

〇このみことばに関連した映画?をテレビで見たことがありました。十数年前のことなので、題名の記憶はないのですが、里親登録をしている夫婦の物語です。ある日、ひとりの虐待を受けて育った男の子を里親として受け入れます。男の子は育った環境の故に人を信じることができません。夫婦は我が子のように懸命に関わっていきますが、男の子は、夫婦の想いを素直に受け止めることができません。しかし、次第に「家族」という温かさや夫婦の愛で縺れた糸が解けていきます。18歳になった男の子は、里親の家庭から旅立つ日がきます。最後に父親がぶどうの木の下で「わたしたちは、このぶどうの木のように離れていても繋がっているんだよ」と言います。

〇「ぶどうの木」は、栽培者である「神」です。そして、「枝」は、わたしたちです。わたしたちがぶどうの実を結ぶためには、神さまからの「聖霊」の助けをいただき、自分の弱さを受け入れ、人と繋がることです。

そして、相手を受け入れ、赦していくことで、「実」を結ぶことができるのです。「実」を結ばなければ、切り取られてしまいます。未来に生きる子どもたちがたくさんの「実」を結ぶために、わたしたちは、神とつながり、子どもたちに神が望まれる教えを導いていきたいと思うのです。自分の価値観と違う人を受け入れ赦すことは永遠の課題ですが、諦めずに神に祈り求めます。

学芸会

○2月9日に「校内学芸会」がありました。初めて、各学年の発表を全校生で観ました。それぞれの発達段階に応じた発表でした。放課後、職員で「公開学芸会」に向けての改善点を出し合いました。学芸会の目的は、子どもたち一人ひとりが表現できる喜びを味わうこと。学級で協力し、お互いのタレントを認め合い、達成感を味わうことです。保護者のみなさまにも、衣装や小道具などの準備にご協力をいただきまして、ありがとうございました。おかげさまで、子どもたちがそれぞれの役割を果たし、輝いておりました。残念ながら、3連休明けにインフルエンザの流行の波が本校にもまいりました。思うように改善ができていないかもしれませんが、子どもたちのメッセージが伝わることを願っております。ぜひ、18日の「公開学芸会」にはお越しいただき、子どもたちの演技をお楽しみください。

スマホ・ケータイ教室

○本日、5・6年生を対象に「スマホ・ケータイ教室」を実施しました。対象の保護者さまも一緒に参加してくださいました。講師に、総務省九州総合通信局の桑原佳久氏をお招きし、「正しい通信機器の使い方」をお話いただきました。

○4年間のコロナ禍で、更にネットワークが進化し、離れていても繋がることができるようになりました
「ぶどうの木」のようです。しかし、その利便さを安易に利用し、人を欺く危険も潜んでいることを学びます。ボタンひとつで繋がることができる時代。子どもたちは、それが「繋がっている」と錯覚を起こします。

○大人は、子どもの時間(自由な時間)をゲーム機器やスマホに任せていませんか。ゲーム機器やスマホを与えると子どもに感謝され、静かな時間が過ごせます。それでいいのですか。わたしたちは問いかけます。

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