校長室からMessage

熊本の待労院

校 長 山田 耕司

○ 本校6年生の修学旅行のゴールは熊本修道院です。ここにハンセン病者の療養所「待労院」がありました。明治時代の文豪森鴎外の「小倉日記」に次のような記述があります。
「田圃間を過ぎて本妙寺に至る。蓋ある車をとめて、銭を乞う廃人二、三をみる。既にして寺に近づけば乞食漸く多く、その中には癩人最も多し。寺は丘上にあり・・・(中略)。カトリック『フランチスカアネル』のフランス女子数人の経営に成る。医学あるものにあらずといえども、間間に薬を投ず。その功績堪えたるものあり。」    

○  これは中尾丸診療所(現熊本市西区島崎)で政府も見限った病人方の世話をする5人のシスター方の姿です。「小倉日記」にある「フランチスカアネル」は「フランシスカン」のことで「フランシスコ会修道者」を意味します。そうです。私たち福岡海星小学校をつくられた「マリアの宣教者フランシスコ修道会」のことです。中尾丸診療所はその後診療と療養を目的とする「待労院」になりました。「慈恵病院」も併設されました。特効薬が開発され2005年には日本ではハンセン病罹患者ゼロになりました。現在はその目的を終え資料館「コール館」として公開されています。

〇  1897年、マリアの宣教者フランシスコ修道会(本部ローマ)創立者マリ・ド・ラ・パシオンは、長崎教区のクザン司教から、熊本・筑後地区で宣教活動に取り組んでいるコール神父(フランス人) のハンセン病者救済事業に会員派遣の要請を受けました。
この年はフランシスコ会が日本26聖人殉教者300年祭(1597-1897)を祝っておりました。創立者はこの要請を、その生き方を修道会が模範とする聖フランシスコ(12世紀のイタリア・アシジの聖人。「重い皮膚病の人たち」の友として生きキリストの再来と尊敬されている)の愛の招きと受けとめ、長い迫害(260年間続いた潜伏キリシタン時代)でフランシスコ会修道士が消えてしまった日本へ、2000人の希望者の中から5名の会員(シスター)を選び派遣しました。

○  今回の修学旅行で訪れた私は、コール館で1枚のパネルを凝視しました。「待労院の火災」の写真です。その火災の数か月前、私は島崎教会の聖ビンセンシオ・ア・パウロ会(故永井隆博士も会員として活動・如己堂はその会員らが建設)の方に案内されて聖母の丘を訪問していました。一面の畑の中を泥道が蛇行しています。洗濯物を干すシスターと患者らしい人々に遠くから手を振りました。                 

○  60年前高校生の私は、大学受験勉強と聖書を読む日々を送っていました。学校帰りにカトリック箱崎教会の聖書講座を居眠りしながら聞く私を、ビンセンシオ会の熱心な会員として活動していた父は、島崎教会での会合に伴いました。私の待労院との最初の出会いです。「ハンセン病の人たちはどんな人生を送って来られたのだろう」私の素朴な問いでした。         ○ 17年前公立学校での勤務を終え、大学の教壇に立っていた私は、シスター平井篤子理事長から福岡海星女子学院に招かれました。そして再び待労院と出会いました。自分の使命に気づきました。
 さて、修学旅行は様々な視点から「海星のルーツを探る」旅でした。 6年生はどんな出会いを通して何を見つけたでしょうか。

「南風講話に心あたたまり」(寿美佳)

  これから中学・高校・大学・社会人と成長していく人生の中で必ずその意味や使命に気づいていくでしょう。 

ごあいさつ                        

 ○  私事、3月31日をもちまして55年間の教師生活を終えることにいたしました。小学校校長・高校校長・幼稚園園長として海星に16年間勤めさせていただきました。

○  4月からは新しい校長の下、次の時代の海星小学校がスタートします。私は学院の片隅で理事として校長先生・先生方のお手伝いをさせていただきます。長年のご協力ご理解ご支援に心より感謝いたします。ありがとうございました。皆さま海星ファミリーの上に神様の豊かなお恵みがありますようにお祈りいたします。

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