共感的理解
教頭 松本 裕子
〇 ゴールデンウィークが終わり、1週間がたちました。先週は、子どもたちに疲れが見えましたが、保護者の皆さまは、いかがでしょうか。
2年ぶりに「コロナ規制」がないお休みだったので、ご家族でレジャーを楽しまれたのではないでしょうか。子どもたちも、たくさんのお土産話を聴かせてくれました。
〇 学校では、先週12日に「マリア様のミサ」が学院講堂で大山神父様の司式のもと、ありました。
「マリア様」はイエスさまの「お母様」ですので、ちょうど、5月8日が「母の日」でしたから、マリア様を身近に感じた子どもも多かったことでしょう。
マリア様は、み使いのお告げでイエス様を身ごもります。受胎告知です。ヨセフという許嫁がいましたので、告知を受けたマリア様は、どんなお気持ちだったでしょうか。戸惑いと不安でいっぱいだったことでしょう。マリア様の「我」を通せばみ使いのお告げをお断りされたことでしょう。
しかし、マリア様はそこに神さまへの「信仰」を持ち「我」を捨てられました。そして、「お言葉通りになりますように」と祈られます。その時、神からの「聖霊」が働き、マリア様に寄り添われマリア様の心を「平安」にされました。
〇 先日、30回生のA君が19年ぶりに訪ねてくれました。夢であった海外で医者になる道を叶え、現在、アメリカで救急医師として働いています。
アメリカは、多民族の国なので、貧富の差があります。患者さんもさまざまで、医療現場の大変さを話していました。「日本はいい国だとつくづく思います。海星で学んだ6年間は本当にいい思い出です。先生方も変わらずいて下さって、海星の教育がいかに素晴らしかったかを実感しています」と語ってくれました。A君は翌日、再びアメリカへ発って行きました。
〇 明後日から、6年生と一緒に修学旅行に出かけます。2泊3日の「海星のルーツを探る旅」です。毎年、海星のルーツには、新たな発見があります。人との繋がりには「必然と偶然」があります。人生において必然には、原因があります。偶然には、意味があります。当時のキリシタンや迫害した人たち、時代に翻弄されながらも信仰を守りぬいた人たちの歴史を辿り、本学院の熊本修道院を最後に訪問すると、すべてが「必然と偶然」によって繋がります。
海星小学校で学んでいる皆さんは、志願して入学しました。これは必然です。そこでクラスの仲間や先生方と出会いました。これは、偶然です。しかし、偶然には意味があります。神様からいただいた意味があります。保護者の方も同じです。その意味を6年間、神様の教えに耳を傾け考えていきましょう。
〇 上智大学神学部教授のアイダル神父様は「現代は貨幣にハイジャックされた世界」と言われました。人間は利益と消費の偶像の犠牲になっていると。子どもたちも「お金持ちになりたい」親も「成功が幸せ」と言います。「苦しみを排除」することを好む社会です。面倒くさいことや苦しいこと、リスキーなことを排除する考えは、「自分にとって嫌いな人」を排除する考え方になります。
しかし、神様は「よきサマリア人」の例えを話されました。人を助けると初めて豊かな人生になることを。「最も弱い立場の人に寄り添うこと」
その人の立場 に立って「共感的理解」を示すことこそ、私たちが教育現場で求められていることだと教えられます。
〇 今私たち教師は、この厳しい時代だからこそ、原点に立ち返り、神様が教えて下さっていることを共に考え、海星の教師としての使命を果たせるよう研鑽して参りたいと存じます。「人の役に立つ人材」を育成するために。何かお気づきの点がございましたら、どうぞ、お声をおかけくださいませ。