歪みと回心
校長 山田 耕司
キリストの受けた試み
○カトリック教会(キリスト教会)では、イースター(復活祭)の前40日間を四旬節として過ごします。
イエスはヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、荒れ野で試みを受けられます。(マタイ福音書4章1~11節) イエスが40日40夜断食をして飢えておられた時、試みる者が近づき、イエスに「もし、あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい」と言います。イエスは「人はパンだけで生きる者ではない。神の口から出るすべてのことばによって生きると書き記されている」と仰せになります。
○イエスは自己領得の時間を40日もかけて行いました。すべてを削って自分自身を見つめ、追究しました。キリスト者はこのイエスの行動に倣います。イエスはその後宣教に出かけます。そして4人の漁師と出会います。最初に弟子に召された4人はシモン(ペトロ)とアンデレ兄弟、ヤコブとヨハネ兄弟でした。
四旬節と「回心」
○35年前私のパナマ(中南米)での経験です。その頃文部省の派遣で私は家族を同伴してパナマ日本人学校に勤務していました。リオ・デ・ジャネイロ、ベニス、ニューオーリンズのカーニバル(謝肉祭)は有名です。コロナ禍でなければ今年も多くの観光客で賑わったことでしょう。
中南米の各国でもカーニバルがあります。その翌日から四旬節が始まります。パナマ市の大通りは閑散とし人通りがピタッと止まりました。人々は自宅で静かに時を送ります。名物の串焼き屋もいません。スーパーの精肉コーナーの品数が極端に減り魚の陳列が増えました。この状況が復活祭まで40日間続きました。
教会では特別に信徒が集まってロザリオの祈りや十字架の道行きの祈りを唱えます。黙想会が行われ告解の秘跡が授けられます。このように静謐の時間が流れます。人々は歪みに歪んだ自分自身を時間をかけてキリストの教えに本来の自分の良さに戻そうと試みます。これを「回心」と言います。
私たちはいつの間にか人間が求める自由とか快適とか所有とかの幸せ感に支配され歪んできたようです。歪みはさらに歪みを生みました。自分の力だけでは解きほぐせなくなりました。