学校だより 地の塩 第401号
海星小のルーツを探る旅Ⅱ
修学旅行2日目と3日目は、海星小学校のルーツを探りに長崎市内を訪問しました。
○日本二十六聖人記念館
2日目最初の訪問地は日本二十六聖人記念館でした。毎年記念館の学芸員さんからは、展示物一つ一つについての貴重なお話を伺うことができます。語り口が柔らかくフレンドリーなので、子どもたちは学芸員さんを取り囲み熱心に聞きながらメモを取っていました。
二十六聖人のなかには、3人の少年がいました。最も若かった12歳の茨木少年は、一人の役人が憐れに思って声をかけた助命を断り、殉教します。事前学習で子どもたちは、なぜ助命を断ってまで殉教を受け入れたのかを考えていました。少年の心にあった信仰を貫く強い意志を、見学を通して確かめました。

○大浦天主堂~浦上天主堂
午後に訪れたのは大浦天主堂と浦上天主堂です。二つの教会に共通している話題はマリア像です。江戸時代末期に建てられた大浦天主堂のマリア像は、当時の浦上の信者たちが、キリスト教禁制のなか、死を覚悟して拝みに行った像です。信者たちは大浦天主堂の神父に「私たちは皆あなたと同じ心です。」と信仰を告白します。神父は驚きました。キリスト教の厳しい取り締まりと宣教師が一人もいない状況が、250年以上続いていたにもかかわらず、信仰が受け継がれていたからです。
この出来事は、「信徒発見」として当時のヨーロッパに大きなニュースとして伝わりました。
子どもたちは、そのマリア像の前でお祈りを捧げました。

一方、浦上天主堂にあるのは、被爆したマリア像です。原爆投下後、がれきの中から見つかった約30センチメートルの頭だけの像です。浦上天主堂の神父様は、原爆落下当時の浦上天主堂内の様子や被爆マリア像について語られました。

原爆によって浦上天主堂は一瞬で崩壊しました。当時、堂内には数十人の信者と神父がいて全員が犠牲になりました。しかし原爆が炸裂する直前まで堂内にいて、紙一重の差で生き残った方々がおられます。その一人が西村勇夫さんです。西村さんは原爆の恐ろしさを身をもって体験しました。多くの人々を救えなかったキリストに失望の念を抱きました。しかしその後西村さんは信仰を取り戻します。そしてキリスト教専門の葬儀社を立ち上げます。
木工職人であった西村さんは、被爆マリアを安置する祭壇を作り、浦上天主堂の小聖堂に設置しました。
子どもたちは、その祭壇の被爆マリア像を見つめながら、お話をじっと聞いていました。
○外海(そとめ)地区
最後の訪問地は、ド・ロ神父が宣教と福祉活動に生涯を捧げた外海地区でした。ド・ロ神父は一度も生まれ故郷のフランスに帰ることなく、外海の貧しい生活をする村人たちのために生活の向上を図る方法を指導し続けました。
事前学習で子どもたちは、ド・ロ神父が外海の人々のために一生を捧げた理由について考えていました。その理由として「貧しい人を助けたかったから」「聖書のみ言葉を守りたかったから」といった隣人愛や信仰心を挙げていました。

そして実際にド・ロ神父が活躍した場所に立ち、当時の様子についてシスターの話を聴いたり、記念館で調べたりすることで、自分たちの考えを確かめることができたのではないかと思います。修学旅行後、ド・ロ神父の業績について聴き合う学習をした後の感想を紹介します。
・ド・ロ神父は、半分の人生を貧しい人に捧げられる心が広い人なんだと改めて実感しました。
・イエス様のみ言葉のすごさがとても分かりました。聖書のみ言葉を忘れず、きれいな心でマリア様やイエス様に向き合っていきたいです。


